2010年のNHKの大河ドラマは『竜馬伝』でしたが、ドラマの中で中心的なわき役として、いつも竜馬のそばにいたのが岩崎弥太郎でした。
ドラマの設定とは多少違ってきますが、竜馬と岩崎氏が実際に顔をあわし、会話をしていたということは本当のことのようです。
そして、三菱電機を含む三菱グループの創業者こそが、岩崎弥太郎氏です。竜馬が率いた海援隊の経理を担当、お目付役としての存在で、竜馬と酒を酌み交わした記録も残っています。

そんなことで、三菱財閥そのものが海援隊の流れをくむものと言う方もいらっしゃいますが、1873年(明治6年)、廃藩置県後、土佐藩の負債の肩代わりに船2隻で海運業を始めたのが、三菱商会の始まりということです。
それから50年の時を経て、1921年に三菱造船の電機製作所の部分が、三菱電機株式会社として独立をした形になります。
その当時の電機部門というとも変圧器、電動機、扇風機といったもので、もちろん今とはちょっと様相が違います。
1923年、今度は三菱造船長崎造船所から電機工場を分離独立、ここではタービン発電機などの大型重電機器を手掛けることになります。
岩崎氏が造船から始めたということでは、当時の交通事情から、陸上よりも海上輸送の方がずっと合理的だったということが裏づけられています。
元々幕府のつながりが濃かったこともあり、現在も民間ではなく官間に近い民間の三菱と言われるゆえんは岩崎氏からの流れでもあります。

1924年に自社単独工場の名古屋製作所を設立、すでにあった神戸と長崎の工場については、三菱重工業から譲り受けたものであるから、三菱電機としては、この名古屋が初と言うことになります。
当初は、ここ名古屋が本社になるはずだったという話しも残されているくらいです。 1928年からは国有鉄道、1935年エレベーター・エスカレーターの一貫生産が始まります。
そして、1958年三菱電機が中核となって、三菱グループ25社で三菱原子力工場を設立する運びになります。
1966年日本初の人工衛星を開発。その後現在に至るまで、ずっと開発に携わっています。
暗号化での第一人者の三菱電機は気象庁の富士山レーダーのシステム一式を納入し、米国電機電子学会より、IEEEマイルストーンに表彰されています。このことが、通信機器の世界において、三菱電機が世界の内外からも認められているという証明になります。
2008年、放送・通信衛星として、初の国産衛星スーパーバード7号機の打ち上げをしました。この後、
太陽光発電のためのソーラーバードへと衛星技術の革新は続くことになります。